フランスハーブ農家に流れ着く前のおはなしを、
思い返すと私が【岩】になるまでには、美容師を辞めた36歳からさかのぼり幼少期からすでに始まっていた。
感じることが多く、心なのか頭なのか分からないけど常にいっぱいな感じで忙しかった。
『こう言うとこの人はこう思う。』『ワガママなことを言うとお母さんが嫌な気持ちになる。』『向こうにいるあの人は悲しいんだな。』
気のせいや思い込みだったのかもしれないが、とにかく小さい子供には背負いきれないほどの情報量。
自分にはTVのアンテナが頭に生えてると小さい時は思ってた。
他人や自分に起きたことに傷ついたりする度に自分が削り取られていく感覚。心臓がギュッと痛くなる感じの。
少し大きくなり思春期ころからは「はるかちゃんて不思議だよね。」「変わってるよね。」「個性があっていいね。」とよく言われるようになり、その言葉の意味が理解できなかった私はさらに削られ傷つきやさぐれていった。
その整理はどうやっていたんだろうか?今では思い出せない部分もあるけれど、庭に出て大好きなコロちゃん(雑種犬)と一緒にいたり、庭の苔をツンツンしたり、葉っぱの裏(葉脈)を透かしてみたり、石拾いしたり、もちろん友達と遊んだり部活も毎日していたけど、一人の時間でバランスを取っていたような気がする。
振り返ると、当時そのように言ってきた周りの子達や先生からは悪意はなく、むしろ、尊重してくれていたと思う。
個性は殺さなくていいんだよ、そのままが面白いからっと何度も周りに言われていた。
でもその時は理解できなかったのだ。
理解できず苦しかったり、悲しかったり、怒ったり、その度に削られていった。
削られるうちに強度を増し【岩】の基礎を築いたのだった。
【岩】の存在を感じさせてくれたのは、この夏に行った森《La forêt de Huelgoat》でのこと。
『あ~、この場所は私みたいだな。』『私ってここみたいに出来ていったのかも。』
Nicoの親友、彼女が、ここの森は昔は海だったこと、長い年月の中で海面が下がっていき、その水流の力で削られ不思議な重なりの岩の集まりになったんだよっと教えてくれた。
ピンときた。
初めて来たこの森が一瞬で私を惹きつけたのはこれだと。
私はここを知っている。
つづく
(これは2021年に綴ったものです)